ババアの手打ち文字そば

オモコロさんでやっている文字そば(1000文字くらいのエッセイ)やりたくて

へんくつおじさん、店で唸る

人は歳を取ると偏屈になる。童話でも、ドラマでも、創作実話でも、現実でも、物語と現実の狭間を綺麗に飛び越えてしまう「へんくつおじさん及びへんくつおばさん」というものはひとつの概念だと思う。
私もなんだか偏屈で矮小な性格になってきているな~と絶賛自覚をしはじめているところで、これはコンコルド効果とクソみたいなプライドのごった煮闇鍋みたいなものに年齢からくる衰えが拍車をかけてんのかなと思うが、一方で、自分ではないへんくつおじさんの話を聞くこと自体は、地味に好きだ。

どんなへんくつおじさんでも良いわけではなく、飲食店の店主が偏屈なのが良い。ごちゃごちゃ持論を展開しているのを肴に酒を呑むのが良いのだ。
そういうおじさんが言っていることはた結構な頻度でアホほど的外れだなと思うし、「ヨッ!流石へんくつおじさん!!」と合いの手を入れたくなるほど論理破綻していることも多い。だがそこに辻褄を求めることさえやめれば、論旨に一切の迷いがない。自分の言っていることを100%信じているやつからしか発せられることのない、謎の自信に満ちた声が、耳を満たす。それが一介の弱小サラリーマンである自分には大層心地良いのであろう。

間違っていようがいまいが関係なく、よどみなく、持論を展開する。それは幼い頃に祖父と一緒に見た、勧善懲悪の時代劇すら彷彿とさせる。あのおじさんたちは、現代に甦った黄門さまなのか。いや、ただの飲食店の店主だ。

何が正解か自分で定め証明し説得する仕事をしていると、どうも頻繁に自分の存在位置が不確かになることが多い。今日も、夜はへんくつおじさんの元へ遊びに行こうと思う。