ババアの手打ち文字そば

オモコロさんでやっている文字そば(1000文字くらいのエッセイ)やりたくて

算数がへた

自分でもびっくりするほど数字が嫌いだ。

嫌いになった理由は明白で、小学校二年生の時の□を使った計算でつまづいたからだ。他のことで人並み以上にできないことがなかった私が盛大に顔からスッ転んでいるのを見た母は、どうやらかなり驚きショックを受けたらしく、あんまりよく覚えてはいないのだがはちゃめちゃに叱られ、延々と□の計算をさせられた。私もそれがすごいショックで、それ以来、算数が大嫌いになった。

思えばうちの母はピアノもそれで大失敗していて、四つの頃から私にエレクトーンを習わせ、指がピアノの鍵盤を押せるようになった小学三年生の時に満を持してピアノを習わせた。だが、毎日必ず一時間の練習が義務付けられ、それによって私が一番大好きだった、学校が終わった後に友達と遊ぶ時間が必然と一時間削られることとなった。ピアノの練習のせいで、友達たちとのたいそう楽しい遊びに参加すらできないこともたまにあった。そんなことが重なって、私はピアノも大嫌いになった。

勉強も嫌いだしピアノも嫌いだった。強制されることが不快だったが、幼いなりに色々考えたのだろう、最も効率よく穏便にこの支配を抜け出すには「そこそこの大卒という資格」を手に入れるのが楽で実現可能性が高い、ということに気付いた。

なので、そこそこの高校に行き(初めての通知表で数学に1がついてふ~ん、通知表の1って色が赤いんだと思った)、そこそこの大学を出て(センター試験の点数200点満点中58点とかだった気がする)、そのまますぽーんと社会に飛び出た。

もうこれで色々自由!二次関数なんて二度と見ないぜYEEEEEAAAAAAH!!と思ったのもつかの間、いざ資本主義社会の荒波に出てみると、思った20倍くらい数字が必要だった。
PL/BSにはじまり、見積。利益率。調査結果。視聴率。
全てに数字が密接にかかわっていたし、なんならつい最近、もう二度と見ることもねぇなガハハ!とタカを括っていた二次関数を利用して、利益率を計算する羽目になった。ここがこの世の地獄か。我々衆生は一生背負った業から解放されることはないのか。一切皆苦、やはり救いは仏門にあるのか。

でもガチ仏門帰依は酒を呑みたいから無理なので、ちゃんと嫌いなものを避けるクセはそろそろ直さなきゃな~~とF1最後の日々を噛み締めながら今日も生存している次第である。

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本気で燃やそうかと思った